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2024.10.10

サンライズワールド クリエイターインタビュー 第20回
キャラクターデザイナー 谷口守泰<前篇>


サンライズ作品のキーパーソンとなったスタッフに、自身が関わった作品の思い出を伺うクリエイターインタビュー。第20回のゲストは、2023年に放送から40周年を迎えた『装甲騎兵ボトムズ』や2025年に放送から40周年を迎える『蒼き流星SPTレイズナー』など多くの作品に携わってきたアニメーターの谷口守泰さん。前編では、アニメーターの世界に飛び込み、『装甲騎兵ボトムズ』に参加するまでの流れやキャラクターデザインを手掛けた『機甲猟兵メロウリンク』での思い出などを語ってもらった。

 

―――最初に、谷口さんがアニメーターになられたキッカケをお聞かせください。

谷口 もともとは西陣織の会社で図案デザイナーをしていたんですが、封建的な職場が嫌で辞めたんです。そのあと、新聞で募集していたコマーシャル制作会社に入りました。そこで5年くらい仕事をして、東京のアニメ制作会社に声をかけてもらい、アニメーターの世界に足を踏み入れましたね。

―――やはり絵を描くことは昔から好きだったんですか。

谷口 そうですね。勉強よりは絵を描くのが好きでしたし、子供の頃は漫画家になりたいなと思っていたこともあります。

―――アニメーターになって想像と違うといったおどろきはありましたか?

谷口 実はアニメーションがどんなものか、アニメーターになるまでよくわかっていなかったんですよ(笑)。色々な作品に参加してアニメーションの世界がどんなものなのか知りました。だからアニメーターになってからは結構しんどかったんですよ。

―――少しずつ作品に参加しながら技術を磨いていたところで『科学忍者隊ガッチャマン(以下、ガッチャマン)』に参加されることになったんですね。

谷口 「やりませんか?」というお話があったのでやったんですが大変でした。1日何枚描くといったノルマは無かったんですが、納期には間に合わせなくちゃいけないから、ひたすら描いていました。この作品で作画監督の宮本(貞雄)さんからアニメーターの技術を叩き込まれたんですよ。

―――絵を描く時に大事にしてるものは何でしょうか。

谷口 色気を出すことかな。デッサン技術は『ガッチャマン』でかなり絞られて身につきました。人間を描く上での色気の出し方もそのときの経験で得たものが一番大きく反映されています。

―――『ガッチャマン』に参加されたあとにアニメアールを設立されていますね。

谷口 アニメーターの専門学校もまだ無かった時代から始めて、少しずつ仲間が増えていくんですが、最初は動画のお仕事はもらえませんでしたね。皆には色々なキャラクターを写して描くように言っていましたから、当時は本当に苦労しました。村中(博美)くんや毛利(和昭)くんとも仕事をしましたが、彼らは最初から上手かったんですよ。私の知っている限りの基本は教えましたが、その必要がないくらいによく描けていました。

―――アニメアールには多くのアニメーターが集まっていました。

谷口 そうですね。ただ、大阪にあまり作画会社がなかったというのも大きいと思います。当時は専門学校を出て東京へ行く人と大阪でやる人に分かれていましたね。やっぱり何とかしてアニメの仕事をやりたいという人が多かったんですよ。今はそうでもないですかね(笑)。当時よりはこの世界に入ってくる人も少なくなりましたし、できるかどうかも中々わかりづらいですから、そうするとアニメーターとしても続かないのかなと感じています。

―――アニメーターになる心構えというのは、当時はどのようなものでしたか。

谷口 昔は「アニメーションで何かやってやる」という気持ちが皆にありましたね。私は東京には負けないという気持ちです(笑)。拠点を大阪にしたのもその気持ちが一番の理由なんです。当時は連絡手段も限られていますし、仕事で不利になることも多かったですよ。例えば大変なカットの発注ばかりとか(笑)。

―――サンライズ作品にはどのような経緯で参加されるようになったのでしょうか。

谷口 『勇者ライディーン』でサンライズさんから声をかけていただいてからですね。そこで安彦(良和)さんの絵を見て上手さと迫力に「すごいな」とびっくりしたんです。

―――サンライズ作品に参加してご自身にもっとも影響を与えた作品はありますか?


谷口 やっぱり『装甲騎兵ボトムズ(以下、ボトムズ)』ですかね。

―――『ボトムズ』への参加はどのような経緯だったのでしょうか。

谷口太陽の牙ダグラム(以下、ダグラム)』に参加していて、髙橋(良輔)監督の新作『ボトムズ』でも声をかけてもらったという流れですね。

―――髙橋監督とは作画についてどのようなお話をされたのでしょうか。

谷口ダグラム』では「この絵が気に入ったからこう直して」といった感じでキャラクターを修正していたのはよく覚えています。そこから髙橋監督とはお話をするようになったんですよ。実はそれまで監督と言われてもピンとこなかったんです。作画をしていても監督と直接お話をすることがなかったですから。なので、髙橋監督とお話するようになってから、他の作品でも監督と作画のことでお話するようになりましたね。

―――『ボトムズ』で特に記憶に残っていることはありますか?

谷口 主人公のキリコが私のイメージと違うなと(笑)。

―――谷口さんはキリコにはどのようなイメージを持たれていたんですか?

谷口 これが言葉にするのが本当に難しいんです(笑)。ただどうにも私にはしっくりこなかったんですよ。塩山(紀生)さんが描くキリコは素晴らしいんです。でも、2~3本作画をやらせてもらったときに好きな様に描いてみようと思ったんです。ですが、プロデューサーの長谷川(徹)さんに、これは困ると言われてしまいました。やっぱり問題になりますよね(笑)。なので私なりにキリコを修正したんですが、それでもダメだったのですが、開き直ってそのまま好きに描いていました。最後には長谷川さんが「違ってもいい、これで行く」と。

―――髙橋監督や塩山さんからはキリコの描き方でお話はあったんでしょうか。

谷口 髙橋監督からは特になかったですね。塩山さんはサンライズさんで初めてお会いして、これはたぶん文句を言われるだろうなと思っていたんですが、優しい方で「好きにやってください」と言ってくれました。

―――谷口さんのキリコと塩山さんのキリコは、当時ファンの間でも評価が分かれていました。

谷口 手紙もかなりいただきましたね。中には驚くような手紙がありましたから(笑)。一番多かったのは「塩山さんが描くキャラクターを崩してくれるな」という意見でしたね。

―――『ボトムズ』では外伝作品の『機甲猟兵メロウリンク』でキャラクターデザインを担当されていますが、経緯について教えていただけるでしょうか。

谷口ボトムズ』の外伝を作るからキャラクターのデザインをしてほしいと髙橋監督からお話がありました。

―――主人公・メロウリンクについては髙橋監督や神田監督からオーダーはあったんでしょうか。


谷口 特に無かったですね。主人公はどの作品も大体二枚目じゃないですか。だから私はちょっと崩そうと思って、最初はすごく筋肉質なメロウリンクのラフを出したんです。他にはATと人が戦うということだったので大型の銃(対ATライフル)をデザインして、これがお気に入りだったのでメロウリンクに持たせて神田監督に送りました。

私としては銃を持ったメロウリンクでいきたいなと思っていて、神田監督から修正があったら直そうと思っていましたが、そのまま決まったんです。ただ、銃の持ち運びが大変だなというのはありましたけどね(笑)。あと、顔の絆創膏もラフから描いていて、これも修正が入らなかったのでそのままです。他のキャラクターも神田監督から「こうしてほしい」というのは基本無くて、かなり自由に描かせていただきました。

―――ではキャラクターデザインはかなりスムーズに出来上がったんでしょうか。

谷口 そうですね。私は男性キャラが描きやすかったですね。あと、敵役のデザインにはかなり神経質になって描いていました。

―――谷口さんから「こうしたい」といった要望をお話することはありましたか。

谷口 それはなかったですよ。個人的に『メロウリンク』というタイトルがどうも気に入らなかったというのはありました(笑)。「メロウ」というのが何か女性っぽいイメージで作品に合わないような気がしたんです。
 

<後編>に続く


谷口守泰(たにぐちもりやす)
1943年生まれ。兵庫県出身。キャラクターデザイナー、アニメーター。アニメアール代表取締役。タツノコプロや東映動画、サンライズの作品に参加し、1970年代末にアニメ・アールを立ち上げる。作画監督として『太陽の牙ダグラム』『装甲騎兵ボトムズ』『機甲界ガリアン』など多く作品に参加しており、『蒼き流星SPTレイズナー』『機甲猟兵メロウリンク』ではキャラクターデザインを手掛けている。

 

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