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- インタビュー
サンライズワールド アニメ制作の裏バナシ
第5回 サンライズ第4代社長 吉井孝幸<後編>
吉井孝幸さんは、プロデューサーとしてサンライズ作品の幅を広げた立役者でもある。インタビューの後編では、企画プロデューサーとして『魔神英雄伝ワタル』や「勇者シリーズ」を手掛けた時期のエピソードを語っていただいた。
――『魔神英雄伝ワタル(以下、ワタル)』は、企画プロデューサーとして初めて関わった作品になりますね。タカラさんと本格的に組んだ作品でもあります。
吉井 当時は、タカラ(現:タカラトミー)がスポンサードする作品を統括していました。自分にとって最初の企画作品ですから、まず作品をヒットさせて、スポンサー(タカラ)の信用を勝ち取ることが重要でした。
――タカラさんのプラクションは大ヒットしましたね。何より、作品そのものが面白かったのが大きいと思います。
吉井 最初は視聴率もたいしたことなくて、しばらく低空飛行が続きました。ところが、4月にスタートして夏休みが終わる頃から急激に商品が売れ始めて、一気に人気が出た。自分で観ても、最初の数話で「これはヒットするな」と手ごたえを感じていました。作っているとわかるものなのです。作品は正直です。
――当時のアニメ誌でも大人気でした。やはり作品の目新しさがよかったのだと思います。
吉井 サンライズ作品は、設定と物語で組み立てる作品が主流でした。いわゆるコアな層向けの作品がメインだったでしょう。でも『ワタル』はそういうコア層をターゲットにしませんでした。設定や物語よりまずキャラクターを立てることを優先しました。それができる脚本が必要だったので、小山(高生)さんとぶらざあのっぽのスタッフにお願いしました。ただ、小山さんの脚本は、主にキャラクターの掛け合いでストーリーが進んでいくので、演出家の中には不安視する人もいました。キャラクターに深みが出せないと。井内(秀治)監督も最初はそう思っていたようです。それでも、この作品にはこういう脚本が必要なのだと説得して、やってもらいました。そこで井内監督は彼なりに、それまでサンライズ作品で培ってきたやり方でその脚本に挑んだ。両者がうまく融合したのが『ワタル』だったのだと思います。従来のサンライズ作品を手掛けてきたライターでは、絶対ああはならなかったでしょう。異物同士をぶつけないと面白いものはできない。予定調和で終わらせない。それは作品つくりではとても大切なことです。
――やはりタカラさんと取り組んだ『勇者エクスカイザー(以下、エクスカイザー)』も『ワタル』路線と同様に人気シリーズとなりました。
吉井 『エクスカイザー』は、やはりごく普通の男の子が、ああいうロボットを友だちにできたらいいなあという憧れを描いたことが大きいでしょうね。しかもそれは自分しか知らない。そういう秘密って、男の子は大好きですから。ロボットのデザインを大河原(邦男)さんにお願いするのは、最初はちょっと躊躇いました。大河原さんが本来やりたいのは『装甲騎兵ボトムズ』のようなリアルなラインだと思っていたので、こういう子供向けのヒーローロボットをお願いしていいものかどうか。幸い「こういうロボットも大好きですよ」とおっしゃっていただきました。谷田部(勝義)監督も、子供もスポンサーも喜ぶ柔軟な映像作りに応えてくれました。
――その後、8年続く人気シリーズになります。
吉井 初期の精神というのはシリーズを長く続けていくとどうしても変化していくものです。そのコンセプトをしっかり守っていくにはプロデューサーの強い思いが必要なのです。クリエーターのわがままはいい方向に作用することが多いのですが、作品の目的によっては削ぐ必要もある。その意味でもプロデューサーの力がとても大事なシリーズでしたね。シリーズを長く維持していくことはとても難しいことなのです。できたら「勇者シリーズ」はもっと長く続けたかったですね。子供向けのシリーズというのは最低でも15年はやらないとダメなのです。定番シリーズを目指していたからその意味では残念ですね。
――1991年には「勇者シリーズ」だけでなく『新世紀GPXサイバーフォーミュラ(以下、サイバーフォーミュラ)』も担当されています。同時期の『機甲警察メタルジャック』と合わせてタカラさんのスポンサー作品を3本同時に制作していたというのはすごいですね。それだけの信頼関係ができていたということですから。
吉井 そう、よくやっていましたね。あの時期、タカラの社員じゃないかと言われていました(笑)。『サイバーフォーミュラ』は、当時多忙だった河森(正治)さんにいくつものカーデザインを起こしていただき、企画書を作ってタカラに出したのです。その物量に圧倒されたのか、すぐにOKが出ましたね。
ただカーバトルですから、ロボットほど商品は売れないだろうなと思いました。でもエンタメ演出が得意な福田己津央さんを監督につければ映像としては面白くなるだろうという確信はありました。中盤からの盛り上がりはすばらしかったし、映像作品としては、その後何本もOVAが出るなどのヒットシリーズになりました。自分が関わった作品はどれも好きですが、『サイバーフォーミュラ』のラスト2話は特にすばらしいと今でも思っています。
――こうして振り返ってみると、プロデューサー生活15年で10作作り、ヒット作を3割という、冒頭におっしゃっていた言葉は……。
吉井 意外と達成できたのかな、という気がしますね。
――入社される時はまだ漠然としていたものを形にしたわけですね。
吉井 今のサンライズの強みというのは、先人たちの作った優良なコンテンツを持っていること、オリジナル作品をつくる企画制作力と、それを支える企業風土、文化があるということです。それをこれからもクリエイターファーストや自由闊達に熱のあるスタジオの風土や文化をどう守るか、どう育んでいけるかがテーマになると思いますね。サンライズは、すごくポテンシャルを持った会社だと思うのです。可能性と言い換えてもいいのですが、オリジナルの優秀な作品を永続的に作り続ける唯一無二の会社なのですから。
――これから就職しようとする若い方に向けて、アドバイスがあればお願いします。
吉井 やはり、仕事を選ぶ基準というのは、やっていて楽しいのか、面白いのかどうかは、大切だと思います。人生の40年は仕事をしているわけですからね。もちろん現実は楽しいばかり、面白いばかりではないでしょう。でも基本的にその仕事を面白がれるかどうかが大切じゃないかと。なにごとも自分を信じてたくさんの人を巻き込んでことにあたれば花は開くと思います。
吉井孝幸(よしいたかゆき)
1951年生まれ。山口県出身。1977年に日本サンライズに入社。制作進行を経て、『クラッシャージョウ』で初プロデューサーを務める。その後『巨神ゴーグ』『ダーティペア』『魔神英雄伝ワタル』『魔動王グランゾート』『勇者エクスカイザー』などのプロデューサーとして活躍。1995年から2008年まで日本サンライズ代表取締役を務めた。国際アニメーション映画祭「東京アニメアワ―ドフェスティバル2025」の「アニメ功労部門」顕彰者。